出生時刻の検証
コア分析
この命例は丙火日主を中心に見る。丙火は午月に生まれ、月支と時支に午火が重なる。一方で年支と日支には子水があり、命局全体に子午冲が強く出る。
年干と月干の戊土は食神で、講義、医薬、技術、伝承を表す。子水に正官があり、戒律、法度、正式な名分と結びつく。鑑真は熱意だけで渡ったのではなく、戒律という秩序を日本へ運んだ。
甲午時の甲木は偏印で、仏学、師承、精神的支えを示す。午火は行動力をさらに強める。度重なる渡航、漂流、失明、成功は、火水の衝突として読みやすい。
特質分析
伝戒力
食神と正官が、戒律を教え制度として残す力を示す。
渡航への意志
午火が強く、子午冲が行動と障害を同時に動かす。
忍耐
火水の衝突は傷を示すが、偏印が志を支える。
制度として残る力
正官が静かに効き、律宗の制度化に合う。
人生タイムライン
各年に出来事、大運、流年、関係、解釈を並べて表示します。
揚州に生まれる
鑑真は揚州江陽県に生まれた。伝記資料では688年生まれが確認でき、命例資料では戊子・戊午・丙子・甲午の四柱を採る。
大雲寺で沙弥となる
701年、鑑真は揚州の大雲寺に入り沙弥となった。
長安で具足戒を受ける
709年、長安に入り具足戒を受け、南山律宗を学んだ。
日本渡航を決意する
742年、日本僧の招きを受けて渡日を決意したが、最初の試みは官府の阻止で成らなかった。
第五回渡航で海南に漂着し失明
748年、第五回の渡航で船は海南へ漂着した。帰路の病と誤った治療により、鑑真は視力を失った。
第六回渡航に成功
753年、鑑真は遣唐使船に乗り、ついに日本へ渡った。
唐招提寺が形になる
759年、与えられた邸宅をもとに唐招提寺が形となり、鑑真はそこへ移った。
唐招提寺で入滅
763年、鑑真は唐招提寺で入滅した。弟子たちはその姿を像として残した。
よくある質問
鑑真の八字資料はどこまで確かですか? +
なぜ子午冲を重く見るのですか? +
食神はどう表れていますか? +
甲午時は何を示しますか? +
自分の八字を見る
有名人のケースを読んだあと、自分の八字も同じ目線で読めます。